だからブルース・リーの話は・・・

本日は「ブルース・リー生誕70年」、また当HP「我愛香港11周年」(これはどうでも良いですが)の記念日でございます。


それに合わせて各地でイベントをやっているそうで、私もそのうちの1つに参加して来ました。



「蒲田」と言う場所自体、4年前のフリマ(懐!)以来ですし、普段用が無ければ絶対に行かないトコですけれども(笑)、眠気に負けじと老体に鞭打ち参加して来ました。


主催者側から2日前に確認の電話があった際、「参加者はどれくらいですか?」と聞いた時には、75人と言われたんですが、実際には53人だったそうです。(何とカウントしていた方がいらっしゃいました!)


10:00〜15分ほど倉田先生(どうしてもこう言ってしまいますね)のプロモーション・リール終了後にご本人が拍手の中、登場され、香港映画・アクションのお話はもちろんのこと、時事問題を交えながら(こういった所がプロ!)、11:30までの90分間、本当に楽しいひと時でした。


先日の映画祭でのトークショーのお話も重複しましたが、香港映画関係のエピソードで面白かった事をザーッとですが簡単に・・・


ブルース・リーに「ヌンチャクをプレゼントした」と言ってるのに「ヌンチャクを教えた」と伝わっていたり、当時ブルースを空港に見送りに行った時に一緒に撮った写真を「オマエがブルース・リーと一緒に写っているワケがない!合成写真じゃないか?!」と言われたりした。だからあんまりブルース・リーの話をするのは好きじゃない。(半分冗談でしょうけども)
●香港で売れていた頃は(大学卒の初任給が1万数千円の時代に)80万円ぐらい稼いでいたこともあった。当時「悪客」の第三班ぐらいの助監督だったジョン・ウーマカオへ行って、あっと言う間に50万円をすってしまった。それ以来、ギャンブルは止めた。 
●あの地べたで弁当を食べていたペーペーのジャッキーが、まさかスターになるなんて思っても見なかった。「蛇拳」「酔拳」が当たってからの変わりようは「あんなに人が変わるのか?」ってぐらいにわかりやすかった。
●現在ジャッキーは香港の事務所を畳んで、北京を中心に活動している。乗っている車のナンバーは「警察も止められない」くらいの(政府関係者級の?)もの。
●アクションは音楽やダンスと一緒。リズムが違うとダメ。出来ない人は「全く出来ないもの」(谷垣さんも同じような事を書かれたと思います)


こんな感じでしょうか。
当然の如く、ネットでは書けないエピソードもありましたので、何処からか聞いて下さい。(笑)


お話が終った後に、「時間がありませんので、皆さんと全員で写真を撮りたいと思いま〜す」と主催者の方がアナウンス。3パートに分けて写真をパチリ。


映画祭のリベンジは果たせないのか?と残念に思っていた矢先、皆さん握手やサインをしてもらっているではないですか!



映画祭の時と同様、スタッフの方が「時間がありませんので、スイマセン!」と言われる中、半ば強引に「お願いします!」とDVDにサインをいただき、握手もして下さいました!(リベンジ達成!)


その後、いつも行っている「KURA」(パスタ屋)の新店が2週間前に蒲田に出来たと言うことで、ブルース・リーファンでは有名な方々とランチをご一緒させてただき、またもや軽い「浦島太郎」状態の2時間。(笑)

帰って来て見たら、サインが消えかかっていました。
中のポストカードにしてもらえば良かった・・・(泣!)